糸一本で虫を捕るクモ

 

大学を出て、教師し始めて10年くらい経ってからのことでした。それまで小さい学校とか中学校なんかにおったんですが、突然田辺高校みたいな大きな学校へ来たもんやから胃が痛うなって…。ほんとに、夜中に胃炎みたいに痛くなるんですよ。痛うて眠れんので学校を休んだりしたんです。そしたら「そんなもん山へ行ったらいっぺんに治る」と言う人がおったんで、それもそうやなと思って土日に泊りがけで行ってみたんです。

 

行ったのは富里(とみさと)でした。ちょうど借りていたアパートに柿平さんという人がおって、「わし富里や」って言うんです。 「そこ、いちばん行きたいとこや!」 「おお、来いよ。ほいたら、お父(とう)おるから泊めたるわ」 で、泊めてもろたんです。

 

富里の、人家にほん近いところの下川上の「野山谷(のやまだに)」、それから「ミノ谷」てな谷がありますね。そういうところへ行って昆虫を採ったんです。そこで採ったら、三川(みかわ)以上にすごいのがいっぱい採れるんですね。「こんな面白いところはない」と言うて喜んでいたら、そこの下川上に「栗栖太一ちゃん」というお爺さんがおって、そのお爺さんがなんかものすごう知っとるというんですよ…なんでも知っている、と。

 

この間まで大塔村の村議会議員やってた人がおんねんけど、そこへも泊めてもろたんです。そしたら、その人がまたよう知っているんですよ。僕と年が変わらんのにえらいよう知ってるなぁと思ったら「わしは、みんな太一の爺やんに教えてもろたんや」と言うんです。みんな出どこは同じで、誰に聞いたって、じきにそこへ行くんです。なんとすごい人がおるんやなぁとちょっと気にしていたら、「栗栖の太一ちゃんが先生に会いたがってるで」という話が伝わってきたんです。

 

「いっぺん会うて、いろいろ話したい」と言うてくれてるというので、そりゃあこんな機会はないなあと思って行こうとしたんですよ。そしたら、「うちにおらんで」と言われてね。「どこへ行くんな?」と聞いたら、「会おうと思たら、小鮫(こさめ)谷の奥に細尾(ほそお)の滝があるさかいに、あのへんで、今、窯造っとるからそこへ行きゃええわ」と言われたんです。

 

今は簡単に行けますよ、林道もあるし。その林道のなかったころのことです。そこへ行こうと思ったら、こっちも覚悟して行かんならん。それを「覚悟して行けと言うんです。「行ったら行っただけのことはある。いろいろ教えてくれるよ」と言うので、苦しみもて行ったんです。

 

その当時の富里の山というのはかなり深い山だったんです。今でも富里の県有林にはけっこういい自然林が残っていますけどね、あれは伐って伐って伐りまくったあと、ちょっとだけもとに戻りかけてきたという姿で、昔の森とはまるっきり違うんです。でも、今見てもいいと思うんやから、あの当時は凄かったんです。山を越え谷を下ってね。あのへんは山が険しいから、下りて上がるまでに時間がかかるんですよ何回も登ったり下ったりしながら、だんだん、だんだんと富里の県有林の横谷のほうへ入っていくんです。

 

そしたら窯があって、そこでおいやんが一人コソコソと炭焼き場で仕事してた。そのおいやんが「後藤先生か」と言うてくれた。向こうも心待ちにしてくれとったみたいです。なにしろ、向こうは仕事してんのやからあんまり時間はとれんのに、まあ僕の顔を見たら、「いっぺんわしは、先生に聞かんなんと思とったんや」と言われてね。

 

「なんなよ?」と言うたら「クモや」と言うんです。「どんなクモよ」と聞いたら、「糸を一本しか張らん」と言うんです。糸一本だけ張って、そして張った糸を自分でずーっと引っ張って、腹を上にして糸のいちばん端っこへ自分の体をもっていって、しっかり糸を絞ってまっている。 「ほたら、その糸へちゃーんと虫がかかるんや。いっぱい網張ったらな、網のあんのを虫は分かるさか、かからんけども、一本やったら網があるかないか分からんからほんまにかかるんや。わし、何回もかかるん見たんや。で、かかったらパッと放すんや。ピンと張ってパッと放したら、ちょうど縄を振ったみたいになってパッと虫に巻き付くんや。で、ゆっくり出かけていって食うんや。ええ~っと、こんな格好のクモや」 「ああ、そいはマネキグモや」

 

僕は、そのクモの名前をたまたま知っとったんです。あまりにも面白い格好で、前足が非常に太くって、前足だけがよく動くから招いてるように見える。だから「マネキグモ」という名前が付いたんです。ただしね、名前が付いてるだけで、当時、そのクモがどんなにして虫を捕るのか、学会でも分かっていなかった。

 

その後、うちの子どもが大きくなってクモのことを調べるようになったころに、初めてマネキグモの餌の捕り方がクモの学会で報告されたんです。だから、発表される10年くらい前から太一ちゃんは知っていたことになるんですよ。そういうのが最初の出会いです。

 

太一ちゃんはその窯場で、直径1メートルぐらい大きな木を伐って炭を焼いとるんです。1本の木で炭30俵かなぁとか、40俵はいけるかなぁというカシの大木です。 「こがな大木が、伐れるんかよ」と言ったら、「ん~、こいは簡単に伐れるんや」と言う。どんな意味か分かりますか?

 

あれね、ノコギリで一部分を切ってね、受け口をつくるんですよ。今度は反対側をノコギリで切るんです。そうすると、思う方向にちゃんと倒れる。「思うように伐れるようになるまでに、かなり年数かかる」と言うてました。  太一ちゃんも、若いときは下手な伐り方をして自分の前へ倒したりしたみたいです。これを伐ったあとは枝を取ったりといろいろせなあかんでしょう。幾日もかかるんです。だから、下手に倒したらいちいちこの木の上を越さなければならなくなるわけです。こんな太い木やからね、簡単に越えられないから木にハシゴ架けて越えんならん。「お父(とう)に『アホやぁ!』と怒鳴られたんや」というようなことを話してくれました。