植物のことをある程度調べたら、本職が虫屋の僕はやっぱり丹念に虫を採るわけです。そしたら、おじやんはまた虫のことを知ってるんですね。なにしろね、炭窯のはたに木を積むでしょ、その積んだ木にカミキリが卵を産みに来るわけです。それを喜んで採ってたら、「そがな採り方したらあかん」と言うんです。「先に行って、そこで木になって待ってやなあかん。虫が来てから出かけていったら、虫逃げるに決まってる。ほやから、ほんまにええの採りたけりゃそこで座って待ってろ。木になったら、向こうからやって来るさかな、ほたら拾うたらええんや。採ろうてなこと思ったらあかんねぞ」と言うんです。
「おおお! この人すごいな!」と思って、「いつごろ、どの虫来(く)ら?」と聞いたら、名前はあまり知らんのですよ。けども、どんなカミキリムシやとか、どんなタマムシとかいうのはみんな分かっとるんです。 だから、たとえばみなさんがよく知っている美しいタマムシがありますな。それを茶色っぽいウバタマムシとかいう大きな普通のやつはみな話が通るんで、それよりもう一回り小そうて緑色のやつとか、背中に紋が六つあるやつとかいう話で教えてくれるんです。おかげさまで、大塔の虫はだいぶ教えてもらいました。とくに、甲虫類なんかは詳しかったです。
カメムシはね、あんまり分からないだろうなと思ってたら、「このカメムシ、卵産んで、産んだ卵は親が一生懸命守っている。そいはちょくちょくある」とか言って、その当時は分かってなかったツノカメムシという仲間を僕より先に太一ちゃんが知っとって、教えてもらったのがいくつかあります。
僕らは、学校出のいちばん悪い癖として先に文献を見るんですね。よその県で、よその土地で、誰かが研究したやつを。まず本で見るわけですね。そしたら、どうしたって先入観が入ってしまう。ところが、今でもそうですけど、昔からある日本の図鑑の大半は、長野県と北関東とか箱根、あるいは関西では大阪、奈良、京都の山地帯で観察した記録が中心になっているわけです。紀伊半島の北のほうは合うんやけど、南のほうのはまったく載ってないんです。ここの山に入ったら、常緑の、いわゆる照葉樹林の森林につく虫っていうのはまるっきり記録がないから、「このカメムシはカエデの実に集まる」と書いてあるとついカエデの実を気にしてしまうわけです。しかし、「いや、そいはシキミの実についとるで」てなこと言われて教えてもろたんです。
そうやって、カメムシでいまだに僕が悔しい思いをしているのが、トホシカメムシという、胸に点が10個並んだ大きなカメムシです。これは、六甲山あたりではかなり普通種です。僕はそのカメムシを、六甲山とか京都の貴船(きふね)まで採りに行ったことがあります。それを1匹だけ採って喜んで帰ってきたんですけど、そのあとで探してみたら護摩壇山(ごまだんさん)に何匹かおったんです。そこで採れて、果無(はてなしなし)で採れて、「ああ、大塔におったらええのにな」と思って「こがなカメムシ見たことないか?」と聞いたら、「そりゃ、おるで」と言われてね。それも、こっちが苦労して探してるのに「おるで」て簡単に言うんや。
「こがな肩の、ちょっと張ったやつやろ?おるで、よう探さんか」と、言われたんです。そりゃ嘘やと思ってたら、うちの息子が百間(ひゃっけん)渓谷で落葉の間からこのくらい細い、2センチくらい出たカメムシタケというキノコを見つけてきて「おいおやじ、カメムシタケや」と言うさかいに見に行って掻き分けたら、落葉の下から出てきたのがトホシカメムシでした。 大塔でその1匹しか標本はないんですけども、なんとカメムシタケで採れたんです。けっこう少ないんだろうと思います。でも、太一ちゃんは簡単に「おう、おるで」と言うてたから、もとはかなりおったんかも分からんですね。