ヤマネはオーバーのポケットで眠る

こうやってね、植物には詳しいし、虫はよう知っとるし、魚にも詳しい。魚なんていうのは、知っているのは当たり前やと思いました。山で暮らしてね、ちょっとは新しい魚を食べたかったらコサメ(アマゴ)を釣るんですね。ウナギも捕って食べるわけやから当たり前やと思たんですよ。

 

ところが、いろいろ話を聞いたら、谷に滝があって、上に魚がなかったら下のを持って上にあがるらしいですよ。ほいて、放すんです。そのうちに増えて、何年か経って炭を焼くときにはちゃんとまた食べられるというんです。「そりゃ、当たり前やで」と言われたんで、今までほかの炭焼きさんなんかもみなそうやってたんですね。

 

魚で思い出した。富里の奥でね、昔は10センチほどのハリウナギ、ウナギの子どもがウジャウジャ上がってきたそうです。それをすくって、塩水で茹でてシラスをつくって、「ウナギのシラス、あい、ええダシ出るで」という話も聞きました。

 

そういや、コサメの大きいのを捕ったっていう話も聞きました。 「ふつう、コサメはそがいに大きならんけども、海に行って戻ってきたら、あい大きなるさかの」  サツキマスのことですな。「ちょこちょこと富里の奥にも来たけども、いちばん大きいのは捕まえて、入れ物がなかったから炭俵へ入れたら「尾だけ出た」と言うんやから、1メートルくらいの大きさになりますね。

 

そういうような話をいろいろ聞いて、何年間も通いながら教えてもろたんですけども、なにしろこの太一ちゃんの知識の一番は動物でした。  僕が大学を出た年やったと思うけど、東京で動物学会があって、なんか張り切って行ったんです。東大であったんですけども、なにしろ駆け出しの僕らにとって、有名な、本に出てくるような動物学者の名前を見るのは楽しいのやけども、いろいろ話してたら怖(こわ)なってくるし、なんせ、しんどいんやてよ。  ほんで、昼飯を食べる場所へ行ったんです。で、「おい、食べよ」と言うてくれる人がおって、なんかあくの強い顔した白髪の学者でして、「失礼します」と言うて傍に座ってかしこまって食べたんです。あとから聞いたら、下泉重吉という昔の東京教育大の有名な動物学者でした。

 

で、僕の言葉を聞いて「関西やな」て言われて。 「ああ、和歌山です」と答えると、「和歌山か、そりゃええとこから来た」ちゅうていやに親切に話してくれたんですよ。なんか、そういうのを探していたみたいで、まあ「カモが来た」てなもんでしょうね。  結局、何かというたら「紀伊半島にヤマネおるから捕れ」と言うんです。「わしはヤマネの研究をずっとやってんね」という人で、そのときは知らなんだんですが、あとから聞いたら有名な人でした。

 

その下泉先生が、「紀伊半島にヤマネがいるはずや。それも、おそらくあそこだったら高い山より低いところのカシ林の中にいるかも分からんぞ。常緑の森林のカシ林なんか誰も調べてないから、きっとヤマネはいるはずや」と言うて、「おまえ捕ってこい」と言うんですよ。でまあ「がんばります」て言うてんけども、僕は虫屋やから動物を捕まえるということをまるっきり知らんので、あちこち行って、結局、それから10年後に太一ちゃんに聞いたんです。その10年間、忘れなんだだけマシやと思うてください。

 

で、太一ちゃんに聞いたら、「しょっちゅう炭焼小屋へ来て遊んどる」と言うんですよ。「おるおる」ちゅうてな、「ここへオーバー掛けといたら、オーバーのポケットに入って寝とる」。「じきに丸くなっとる」と言うから間違いないですな。 「ほんまにあいつはな、あちこち元気に走り回って飛び回るからしゃあないんや」  でも、ヤマネは夏場はもちろん小屋から出てしもておらんから、結局「おるで」と言われたもんの実物は見せてもらえなかったんです。

 

その後、下泉先生は退官されたあとに都留文科大学という山梨県の大学で学長をしていました。そこで、何人かの学生がヤマネのことを習ろてこっちへ来たんですよ。そのなかの一人が本宮町で巣箱を設置したら、ちゃんと簡単に入ったらしいんです。で、結局いろいろ分かってきたことは、やはりシイとかカシの森林のなかにはヤマネがおったということです。