そうこうしているうちに、文化庁からカモシカを調べよという話が来たんです。カモシカによる食林の被害問題で文化庁が非常に神経をとがらせて、日本全国のカモシカを調べようということになったんです。紀伊半島は照葉樹林で、年中緑に包まれているからおそらくカモシカの込み入った調査はできんだろうと僕たちは分かってました。
「紀伊半島の場合は、1000ヘクタールの広さの中にカモシカが何匹おったかという、それだけ調べてくれ。棲んでいる数だけを」という依頼を受けたんですが、これは大変なことやと思いました。 僕が代表になって、12~13人の県下の優秀な若手の生物の先生を集めて調査団を組織してやりました。なんと1年間、一生懸命調べてカモシカの姿1匹だけ見ました。そんなに見えんのですよ。棲んでいることは確かです。調べたら、時々、足跡はあるんです。雪が降らないからあんまり足跡が残らんのですよ。残るのは糞(ふん)だけです。所々にカモシカ特有の糞があるんで、結局一年間の予備調査の末にカモシカの糞を調べようということになりました。糞がどこにあるかを調べて、地図に記載していくんです。
カモシカの糞はシカの糞と同じなんです。黒くて長方向は先のとがった丸いやつで、そいつが野に積まれています。カモシカの糞は常に積んでます。その糞を拾ってきてノギスできちっと長径や短径を測って、それぞれのカモシカの個体を糞から調べようということになったんです。 結局、それからまる2年、だから都合3年間、250haの照葉樹の森林の中で糞を拾う仕事ばっかりでした。間違いなく、森の中にある糞をする場所は全部押さえたというぐらいに克明に調べたんです。その間、カモシカは3回見ました。
調査は大変でしたよ。調査で巡回する道に目印としてビニールテープを巻いておいて、迷わんように行くわけです。そのうち、くたびれてきたらテープを見る余裕もなくなって、右足と左足とが別の方向に滑ってよ。ほいて、大きな木を股でグショ~ンとな。何回も、リュックサック持ったまま滑りこけました。 で、そいうデータを拾い集めて、京都大学にいる森下正明というすごい生物学の学者のところに行ったんです。その先生がカモシカの調査を白山でやってて、「糞塊法(ふんかいほう)」という方法で数式表をつくっとるんです。調査地域に、こんだけの糞がこんなにあったら何匹棲んでいるというのが出るんです。僕らも若いときからその先生をちょっと知ってたんで、快く教えてくれたんですよ。
いろいろ教えてくれたとこまではよかったんですが、「あれは白山でやったから合ったけども、紀州は分からんで。わしは、紀州は分からんということだけは分かってんね」と言うんです。何故かというたら、奥さんがすさみ町出身で、なにしろ「わしの家内は江住の山越えた古座川の源流や」と言うて、「家内が生まれたとこがあんなとこやから、おそらく紀州ちゅうのはまるきり分からんとこや」と言うんです。 しかし、頼れるのは「糞塊法」しかないんで、結局その計算式を使うてやったんです。そしたらね、「17.5」っていう数字が出たんです。「0.5」はみ出すのが面白いけどの。
その計算がやっとできあがったときに、誰やったかな「おい、こい合(お)うてんのかあ?」と言うんです。ほいたら、みんな「エエッ!」て言うて、誰も合うてるかどうか分からんのです。ほいで僕が「こい合うてるかどうか太一ちゃんに見てもらおうやないか」と言って、太一ちゃんのとこへ行ったんですよ。 行ったらな、「カモシカかぁ。あの黒蔵のあそこの山なぁ……わし行ったことないさかなぁ」と言うてから、「あいは大変な山やで。あんなとこでカモシカの数読もうと思もたら、そりゃ簡単にいかん。どんなにしたて3日かかる」と言うてな。 「ほんな、行ってくれんか。コタツから何からみな持っていくさかい」