■いちいがしの会の活動
「いちいがしの会」は今大きな曲がり角にきています。
「熊野の森の再生」という原点を見つめ直し、今までの活動で得られたものを生かしながら将来へと活動計画を立てることが必要です。
「川の水が激減した」
「 九州では斜面崩壊による土砂災害がすでに発生している。紀州の山はまだ起こっていないがこれから必ず起こってくる」
「野鳥の姿もめっきり減りました」
「害虫、害獣の出現により山間部の山里では作物の収穫が困難になりました」
「磯焼けで沿岸漁業が成り立ちにくくなっています」
などの問題があがっていました活動計画をたてるに当たって大切なことは、「その計画がこれら具体的な問題の解決につながるものでなければならない」ということです。
■活動の背景
■炭焼き老人に学んだ自然の考察法
後藤伸は言っていました。
「私は山についてあれこれ言うが、私が考え出したこことは一つもない。みんな熊野で昔から山の仕事に従事してきた人達の間に伝えられてきたことや」
いちいがしの会の初代会長で、熊野の森の再生を提唱した後藤伸に大きな影響を与えた人物に栗栖太一さんがいる。大塔山に近い渓谷で炭焼きをしていた老人である。栗栖さんは、自然の知識が、並大抵ではなかった。
栗栖さんを訪ねた後藤に、「糸を一本しか張らずに虫を捕るクモがいるが…」と、持ち掛ける。たまたま名前だけ知っていたので「それはマネキグモや」と答えた。マネキグモの餌の取り方が学会で初めて発表されたのは、それから約10年後。栗栖さんは、そのクモの習性をすでに知り尽くしていた。
炭焼き窯のそばで山の植生調査をした時、巻き尺で10m四方を測って、その中にある樹種を調べようとした。山を見るだけで樹種や本数が分かるという来栖さんは、「方法は面白いが、間違うとる」と言って、後藤の調べた樹種の違いを指摘した。
高山植物のヒメイワカガミが、この渓谷の崖にいっぱいあるのに後藤は驚く。すると「弱い植物は崖に逃げるんや」と栗栖さんが言った。この一言に後藤は「目の前が明るくなった。植物の生活が、かなり分かったような気になった」という。
研究者を驚かせたのは、文化庁の指示で取り組んだニホンカモシカの調査。和歌山県内の自然研究者10人余が取り組み、糞塊法という方法で1年間をかけて調べた結果、250ヘクタールの調査区域内に17・5頭がいるとの結論を得た。これが正しいかどうか自信がなかったので、念のため来栖さんにも調べてもらうことにした。3日かけて研究者とともに山を歩いた来栖さんは、「15頭が棲んでいる。あと2頭が区域外から遊びに来ている」といい、これは研究者の結論とぴったり一致した。
後藤が、自然の研究からたどり着いた結論の一つに植林地の崩壊がある。真っすぐに立つスギやヒノキは、倒壊を避けるために根を横に広げるため、植林地では根が絡み合って板状に広がっている。この下に大雨により水が浸入すると地滑り的な崩壊を起こすというものだ。そんな懸念の問いに、来栖さんは「二代目の植林が成木になったころ、せっかく植えた植林地は大体滑る。あそこは滑る、あれも滑る。あそこももうじき滑る」と言った。それを世に問わないのは「わしの言うことを聞く世の中とは違う」からだという。
栗栖さんとの交流を通じて(後藤は栗栖さんに師事したと言っている)、「こういうような見方をしてちゃんと考えるのが自然科学の本筋であり真理だと思う」と後藤は述べている。
■斜面崩壊について
「木が成長するにつれ拡大造林で植林をした斜面が滑って<崩壊する」
後藤伸はそのわけを次のように言っています。
「スギやヒノキのように高く真っ直ぐに伸びる木は根は必ず横に張るんです。隣の木にくっつくと根が互い違いに組み合わさって根の板ができる。傾斜地で根の板の下を水が流れたら全部山の斜面が滑ります」
「増水だけでは大きな被害にはならないが、土砂崩れが加わると大災害が引き起こされる」
「 九州では斜面崩壊による土砂災害がすでに発生している。紀州の山はまだ起こっていないがこれから必ず起こってくる」
後藤氏が繰り返し警告してきたことです。
「2011年の紀伊半島大災害を予言していたことになります」
■保水力について
拡大造林で植えられたスギやヒノキは大きくなっているのになぜ川の水が細くなってしまったのでしょうか
樹木が川の水を蓄えるのでしょうか。確かに木は降った雨を根の周りに蓄えます。しかし樹木が水を蓄えるのは、木自らが大きくなるため必要な水を確保するためです。使ってしまった水量分は、次の雨で補充され、余った水が下流に流れるのです。すべての木は自らの成長のため水を消費しますが特にスギやヒノキは水を大量に消費する樹木です。「スギやヒノキが大きくなって沢の水が枯れた」という話は全国共通です。拡大造林で植えられたスギやヒノキが大きく成長するにつれ、より大量の水を消費し川の水が細くなっています。
二つ目、スギ、ヒノキの植林地では下層植生が発達しておらず、土壌がむき出しになっている場所が多く見られました。そうなると雨粒で土壌の表面の粒子が壊され細かくなり表面の隙間を詰めてしまうため、降った雨地中にしみ込みにくくなり、地表を流れてしまいます。やがて地中を流れるようになりますがすぐにしみ込んで地中を流れる水に比べずっと早く流れます。すぐに谷に出て流れてしまい雨が降らないと水が枯れてしまいます。このことが川の水が細くなる一番大きな原因です。
しみこんだ水ですが、尾根筋や急斜面の浅くて硬いところの土壌の保水量に較べて、緩斜面や斜面下部の深くて柔らかい土壌の保水力は何倍も大きいと言われています。土壌の下にある岩が風化した土層や岩盤もまた大きな保水力を持っていると考えられています。それは団粒構造を持った土壌の豊かさによります。
河川の水量を戻すには水を大量に消費するスギ・ヒノキを、水の消費が少なく土を作る広葉樹に変えていくこと、それに加えてふかふかの黒い土(団粒構造を持った土壌)を作ることが大切です。ふかふかの黒い土は地中に大小様々な生き物が生活することでしか出来ません。
■林道と斜面崩壊
総会で行われたシンポジウムの最後に「後藤氏の研究仲間であった先生の言葉がある。「1番悪いのは林道だ」
林道は雨が降ると水の流れを作ってしまう。水の流れは山に入って少しすると土中を流れるようになります。 「水が流れると土は流れます」大きな雨が降る度に流れる水により杉、桧の根の下の土は少しずつ流れてしまい30年から50年経つとボロボロになってしまいます。大雨とか何かのきっかけで土砂が崩れると土は泥となり傾斜のきつい斜面では土石流となり大きな災害に結び付きます。林道が高いところにあるほど土砂崩れは一層大きくなります。
■「天空三分(てんそらさんぶ)は雑木(ぞうき)で残せ」
と言う掟のような昔からの言葉があります。尾根を含めた3割は山を守るため、また植えてもいい材木はできないということで木は植えなかった。 スギ、ヒノキは北ウケの木で南側は植林に適さないから植えない。東側も同様である。北側の綾線より下の三分の一はそのまま残し、その続きにヒノキ、さらにその下の湿気ある所にスギを植える。 ということで全体で言えば、自然の森が約7割、人工の植林地が約3割というバランスの中で質のよい熊野の材木が生み出されていたのでした。
熊野は昔から木の国です。林業が盛んで利用できる適地はほとんど利用してきました。それでも植林されていたところは多いところで3割だったということです。
しかし拡大造林によってこのバランスが大きく崩れました。一本苗を植えると百数十円となったと聞いています。植えてはいけない尾根、植えても育ちが良くない南側などにそれまでに生えていた照葉樹林を伐採し、代わりに、スギ、ヒノキを植えました。
■獣害
鹿は太古から日本にいたが今のような鹿の食害は拡大造林以前は聞いたことはない。
拡大造林は最も奥深い大峰の奥地にまで及んでいる。同時に食べ物がなくなった鹿などは食べ物を求めて、残された尾根の原生林にあがり、獣害を起こす。
同じく拡大造林で熊野の森を追われた動物は食べ物を求めて里に出て獣害を起こす。